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星光堂物語~星光堂が卸業を始めた頃、そして今

創業者:飯原正信
創業者:飯原正信

 星光堂の歴史は関東大震災から1年ほど経った大正13年7月28日、飯原正信が東京都板橋区に「飯原星光堂楽器店」を創業したところからはじまります。持ち前の営業力と行動力で川越街道沿いの店への外商を展開し、順調に売上を伸ばしていきました。昭和21年に空襲で店舗が全焼するも、1年内にすぐさま開業。翌年には足立区千住、板橋区大山と立て続けて出店をしていきます。

 昭和36年には支店が4店、外商部、そして34年から手掛けてきた音楽教室は42ヵ所を数えるまでになりました。この功績をかわれ、当時のレコード小売団体「全国蓄音器商組合連合」の東京支部、副組合長に就任しています。

 その昭和36年、星光堂は「卸部」を発足させます。
これが現在の卸売商社としてのスタートラインとなりました。

 当時の日本経済は所得倍増政策による高度成長の真っ只中で、国内市場が急速に拡大しつつありました。それにあいまって娯楽や余暇に対しての欲求も高まりつつありました。石原裕次郎と牧村旬子の「銀座の恋の物語」、植木等の「スーダラ節」、坂本九の「上を向いて歩こう」など、ヒット曲を量産した年でもあります。

星光堂大山店
星光堂大山店

 レコードの平均価格は2000~2500円ほど。2013年現在の価値で推察すると8,000~10,000円に相当しますのでレコードはまさに「贅沢品」でした。にもかかわらず、店頭に置けば、商品はすぐに品切れになる状況だったようです。

 さぞかしレコード市場は潤っていたのだろうと思われるかもしれませんが、当時のレコードの生産金額はわずか約120億円。現在のオーディオレコード生産規模は約3,000億円ですから、その25分の1の市場でしかありませんでした。その要因としてレコードの生産能力や流通環境に加えて、何よりレコード店数が少なかったことが挙げられます。

 レコード店は1990年代のピーク時の店舗数の約10分の1以下にあたる1700店程度。活況を呈してしたレコード販売の小売店数が増えなかったことには大きな理由がありました。

 まず、レコード店を開業するためには全国蓄音器商組合連合会(全蓄連)に許諾を受ける必要がありました。その条件は出店する地区に近接する既存の2店からの同意書をもらうこと。既存のお店からするとライバル店の出店になる訳ですから、簡単に首を縦にふることはなかったようです。そして晴れて全蓄連に加入しても、各レコードメーカーと直接特約契約を結ばないと商品が供給されませんでした(特約店制度)。新たな出店には非常に高いハードルを超える必要があったことが伺い知れます。

レコードイメージ

 しかし当然ながらこのビジネス慣習は、公正取引委員会からの勧告により、昭和37年に廃止にいたることになります。

 前述の通り、創業者である飯原正信は全蓄連の東京支部の役員となっていました。この慣習にならい、自店の周辺での新規参入を拒むこともできましたし、自社で多店舗出店が可能なポジションでもありました。しかしながら、目の前で飛ぶように売れていくレコードを見つめ、市場が寡占化していくことに釈然としない思いでいました。高度成長を続ける市場経済とレコード市場の需給バランスに疑問を持ち続けていたのです。

 結局、正信は全蓄連の役員を辞し、自店の拡大ではなく全国の小売の裾野を広げる方向に舵をきります。この時の決断の心境を自叙伝である「商魂」(実業之日本社:絶版)のなかで、このように表現をしています。

 「高度成長の槌音が高く響きわたり、その産業生活の疲れが、いっぽうではレジャーへの欲求を育てていた。レコードはその格好の商品ではないか。なんで多く売ってはいけないのか。レコードをもっとお客さんが買いやすいような状態にすることが、いちばん必要なことではないのか。そのためにはレコード店がもっと増えなければならない。そして増やすためには、強力な卸し業が存在しなければいけない。これは、業界の成長のためでもある。私は内心で興奮していた。」

高度経済成長イメージ

 「卸部」をスタートさせると商品供給の依頼を受けるといった「待ち」の姿勢はとりませんでした。「人口1万人にレコード店1店」というスローガンを掲げ、新規出店に向けた積極的な開拓活動に経営のリソースを集中投下していきます。

 1億人の人口に対して全国に最低10,000店ないとお客さんが満足する商品供給を賄えない、というこの仮説は、精緻なマーケティング分析から導かれたものではありませんでした。あくまで飯原正信の経験則。しかし、奇しくも1980年後半に入り、その予言は的中することになります。

 また小売で培った経験とノウハウを活かし、店頭のバックヤード業務の効率化に向けた営業体制とシステム開発を徹底して実践していきました。闇雲に新規店を増やしていくのではなく、取引先が「売れて、儲かる」素地をしっかりと構築し、お店とメーカーの信用、信頼を得ることを第一に考えたからでした。

 全国50ヶ所以上に営業と物流拠点を設置し、潤沢な商品供給と商品配送のリードタイムの短縮、迅速に小売店をサポートする体制を整えていきました。

 そして「インターネット」という概念が確立された1982年の2年前、1980年にオンラインでの受発注を可能にした端末「MUSICSシステム」を開発します。80年代初頭はファクシミリを導入している企業も少なく、電話による受発注が中心でした。口頭での注文のやりとりでしたので「その注文はした、していない」といったやりとりが星光堂とお店の間で毎日のようにされていました。またお店から注文できる時間も星光堂の営業時間内と限られていました。

 「MUSICSシステム」のリリースによってオーダー内容をデジタル化と24時間注文を実現させます。受発注がデータとして管理、蓄積されたことで受発注のミスとその対応業務を減らすだけではなく、二重発注やチャンスロスを低減し、仕入精度の向上をもたらしました。また発注時間の自由度を上げたことで、お店では営業時間中の発注作業に追われず、接客や商品陳列の時間をより確保しやすくなりました。

その4年後には発売されている商品を全てデータベース化し、個別で在庫管理できるオンラインシステム「MUSICSⅡ」をリリースします。受発注時での店頭在庫確認の作業や棚卸し業務の負担の軽減と、正確な資産管理を実現させます。また発注時にも何を注文して、何枚売れて、結果何枚残っているのか、というデータを定量化したことで発注判断業務の効率化を図りました。

 以降、お店が販売に集中できるように会員管理システムやWeb発注システム「Vision」と、リリースを続けていきます。

 店頭でのバックヤード業務の軽減に力を注いだ理由は「小売は販売に集中できる時間が大切」そして「その時間を作るためにインフラを整備するのが卸の役割」と明確に役割を分けていたからこそ、でした。

HITS

 2012年には異業種店舗でもCDやDVDを簡易的に販売できる店舗サポートパッケージの「HITS」をリリース。2013年4月にはその「HITS」の店頭オペーレションシステムが特許を取得しました。

 「音楽や映像の素晴らしさを多くのお客様に届けたい」。そのためにも「お店とメーカーの支援を続けたい」という創業者のイデオロギーが今もなお実直なまでに受け継がれている会社、それが星光堂なのです。

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